織田信長の身長は何cm?170cm説・木像・フロイス証言を2026年史料で徹底検証
織田信長の身長は何cmだったのか。歴史ファンの間でよく紹介されるのが170cm説です。豊臣秀吉や徳川家康と比較しても長身だったという説がありますが、実際に信長の身長を測定した記録が残っているのでしょうか。 (あわせて読みたい:荒井玲良の現在は?改名の経緯と2026年の出演作・結婚説を徹底解説)
手がかりとなるのは、2016年刊行の篠田達明著『日本史有名人の身体測定』、大徳寺総見院に伝わる高さ約115cmの織田信長坐像、そして信長本人と面会したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの『日本史』です。2026年10月現在、これらの史料や公的資料を照らし合わせると、170cmという数字の出どころと、実際に分かっている信長の体格が見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 身長の結論:170cmという推定値は存在するものの、信長本人の実測値として確定した数字ではない。
- 有力な証言:ルイス・フロイスは信長を「中くらいの背丈」「華奢な体格」と描写している。
- 木像の真相:大徳寺総見院の坐像は高さ約115cm。立った状態の身長が115cmという意味ではない。
【結論】織田信長の身長は何cm?170cm説の真相
最初に答えを整理すると、織田信長の正確な身長は確定していません。
一方、歴史人物の身体的特徴を扱った書籍では、信長の身長を170cmとする推定値が紹介されています。また、インターネット上では165〜170cm程度という推定も見られます。
ただし、170cmという数字を16世紀の身体測定記録で裏付けることはできません。現存する肖像や人物評、後世の研究者による身体的特徴の推定を、実測値と同じものとして扱うのは適切ではありません。
信長は1534年に生まれ、1582年の本能寺の変で亡くなりました。現代のような統一された身長測定や健康診断の記録が一般的に残される時代ではありません。
したがって、2026年時点で最も正確な回答は「170cmという有力な紹介例はあるが、実際の身長は不明」です。

【170cm説の出典】篠田達明『日本史有名人の身体測定』を検証
信長の170cm説をたどるうえで重要なのが、医師兼作家の篠田達明氏が執筆した『日本史有名人の身体測定』です。
同書はKADOKAWAから2016年2月26日に刊行されました。歴史上の人物について、身長や体重、持病、死因などを身体的な観点から紹介した書籍です。
大阪府立中央図書館が2016年10月20日に公開した書籍紹介記事には、次の数字が掲載されています。
織田信長170、豊臣秀吉140、徳川家康159。
これは身長をセンチメートルで示した数字です。同記事は、当時の男性の平均身長を157cmとも紹介しています。
170cmはどのように算出されたのか
ここで注意したいのは、書籍に掲載された推定値と、本人の身体を直接測定した記録は別物だという点です。
大阪府立図書館の紹介によると、篠田氏は歴史人物の身体測定に際して、次のような情報を手がかりにしています。
- 遺体の計測
- 古文書の記述
- 肖像画
- 奉行所の人相書
- 本人の縁故者の証言
- 本人の遺品や身体計測の記録
- パスポートなどの記録
同書では、こうした方法を用いて132人の歴史人物を取り上げています。
ただし、大阪府立図書館の紹介記事は、信長の170cmという数字について、具体的にどの資料を採用し、どの計算式で算出したかまでは説明していません。
そのため、170cm説の出典として同書を挙げることはできますが、170cmが考古学的に実証された実測値だと解釈することはできません。
165〜170cm説はどこまで信頼できる?
165〜170cmという数字は、信長の人物評や当時の身体的特徴に関する推定を組み合わせた幅のある見方です。
170cmという数字だけを独立した確定情報として扱うよりも、身長推定の一つの目安として理解するほうが正確です。
特に、後述するフロイスの「中くらいの背丈」という証言は、センチメートル単位の数値とは性質が異なります。170cm説を直接証明する文章ではありません。
【大徳寺の等身大木像】高さ115cmから信長の身長は分かる?
信長の身体的特徴を考えるうえで、もう一つ重要なのが京都の大徳寺総見院に伝わる木造織田信長坐像です。
この像は重要文化財に指定されている安土桃山時代の肖像彫刻です。文化庁の文化遺産データベースによると、制作されたのは天正11年(1583年)。信長の一周忌に合わせて制作されたものと考えられています。
作者は七条仏師の康清です。信長の死後、豊臣秀吉が追善供養のために建立した総見院の本堂に安置されています。
等身大なのに115cmという理由
京都市観光Naviや総見院の公開案内では、この木像の高さは三尺八寸、約115cmと紹介されています。
ここで誤解しやすいのが「等身大」という表現です。
この像は立像ではなく、正式名称にもあるとおり坐像(座った姿の像)です。115cmという数字は彫刻作品そのものの高さであり、信長が直立した状態の身長を示すものではありません。
座った人物の像を立位の身長に換算するには、頭部や胴体、脚部の配置、姿勢などを考慮する必要があります。像の高さだけを見て信長の身長を決めることはできません。
木像は信長の実像を伝える貴重な資料
身長の直接的な証明にはならなくても、この木像には大きな価値があります。
文化庁の解説では、面貌について、唇が薄く、顎が尖った面長の顔立ちと説明されています。また、神戸市立博物館や愛知県の長興寺に伝わる信長像との共通点も指摘されています。
つまり、総見院の木像は、信長の外見や当時の肖像表現を考察するための重要な資料です。ただし、身長を推定する際には、顔の特徴と身体の寸法を混同しないことが大切です。
なお、2026年10月10日から11月30日までは総見院の秋季特別公開が案内されています。信長坐像を実際に見られる機会としても注目されます。

【ルイス・フロイスの証言】信長は「中くらいの背丈」で「華奢」だった
信長の身長を考える際、170cm説以上に注目したいのが、同時代に近い人物による直接的な観察記録です。
その代表例が、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの著作『日本史』です。
フロイスは16世紀に日本を訪れ、織田信長とも面会しています。彼が執筆した『日本史』には、戦国時代の政治や宗教、武将たちの人物像が記録されています。
2026年1月17日公開のダイヤモンド・オンラインの記事でも、歴史学者の濱田浩一郎氏がフロイスの記述を紹介しています。 (あわせて読みたい:久保史緒里の卒業はいつ、なぜ?発表から横浜アリーナ公演、2026年の現在まで徹底解説)
彼(信長)は中くらいの背丈で、華奢な体格であり……
この描写は、信長の身体的特徴を考えるうえで重要です。
「中くらいの背丈」は何cmを意味するのか
フロイスの証言から分かるのは、信長が極端に長身でも低身長でもなく、中程度の背丈と認識されていたことです。
しかし、この「中くらい」が何cmに相当するのかは記されていません。
比較対象が日本人だったのか、フロイスが接した外国人も含めた人物だったのかという問題もあります。
したがって、この証言から165cmや170cmといった具体的な数字を導き出すことはできません。
「華奢な体格」は小柄という意味ではない
もう一つ注目したいのが「華奢な体格」という表現です。
華奢とは、骨格や身体つきが細く、がっしりした印象ではないことを表す言葉です。必ずしも身長が低いという意味ではありません。
フロイスは信長について、軍事的な訓練に励み、名誉心に富み、戦いを好む人物としても描写しています。
この人物評を合わせると、信長は身体が大きく威圧感のある巨漢というより、細身ながらも活動的で、強い存在感を持つ人物だった可能性があります。
『日本史』はどのような史料なのか
フロイスの『日本史』は戦国時代を知るための貴重な史料ですが、すべての記述が客観的な測定結果というわけではありません。
人物の外見や性格については、著者自身の観察や評価が含まれます。
中央公論新社から刊行された『回想の織田信長 フロイス「日本史」より』は、松田毅一・川崎桃太の編訳によって信長に関する記述をまとめた資料です。1568年の初謁見から1582年の本能寺の変までの記述を収録しています。
フロイスの証言は信長の生前の姿を知るための重要な手がかりですが、数値による身長測定の代わりにはなりません。
【身長比較】織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は何cmだった?
戦国三英傑の身長比較も、信長の170cm説が注目される理由の一つです。
篠田達明著『日本史有名人の身体測定』を紹介した大阪府立図書館の記事には、三人について次の数字が掲載されています。
| 人物 | 同書で紹介された身長 | 史料上の扱い |
|---|---|---|
| 織田信長 | 170cm | 後世の身体測定・推定値 |
| 豊臣秀吉 | 140cm | 同書で紹介された推定値 |
| 徳川家康 | 159cm | 同書で紹介された推定値 |
この比較では、信長が最も高く、家康が続き、秀吉が最も低いという結果になります。
ただし、三人とも同時代の確定した実測記録が残っているという意味ではありません。あくまで同じ著作に掲載された推定値同士の比較です。
豊臣秀吉の140cm説は本当なのか
秀吉については、小柄な人物だったというイメージが広く知られています。
しかし、140cmという数字をそのまま確定身長として扱うことには慎重さが必要です。信長と同様、秀吉についても推定の根拠や算出方法を個別に確認する必要があります。
徳川家康の159cm説について
家康の159cmも、篠田氏の著作で紹介された数字です。
三人の身長を比較する場合は、同じ著作に掲載された推定値を比較していることを明確にする必要があります。
「信長170cm、秀吉140cm、家康159cm」という数字は興味深いものですが、三人の身長差が歴史的に完全に証明されたわけではありません。

【戦国時代の平均身長】信長は当時の男性より高かったのか
信長の170cm説を評価するには、当時の日本人男性の身長も考える必要があります。
大阪府立図書館が紹介した篠田氏の著作には、当時の男性の平均身長として157cmという数字が掲載されています。
この数字を基準にすれば、170cmの信長は平均より13cm高い計算になります。
しかし、157cmという数字を戦国時代の全国的な平均身長として断定することはできません。
人骨から推定する歴史上の平均身長
過去の人々の身長を研究する方法の一つが、墓地や遺跡から出土した人骨の分析です。
特に大腿骨などの長骨の長さから、身長推定式を用いて生前の身長を計算します。
日本人類学会の学術誌『Anthropological Science(Japanese Series)』に掲載された2008年の研究では、鎌倉市由比ヶ浜南遺跡から出土した中世人骨を分析しています。
対象は男性59体、女性52体。複数の推定式を比較し、身長の推定方法そのものについても検証しています。
研究では、古墳時代から明治時代にかけて、日本人の平均推定身長が低くなる傾向が再確認されました。
この研究は、歴史上の平均身長が時代によって変化していたことを示すものです。ただし、鎌倉時代の人骨の分析結果を、そのまま16世紀の信長や戦国時代の全国平均に当てはめることはできません。 (あわせて読みたい:みなみかわの現在は?松竹退社からナンセ独立、妻・雅代と2026年の活動を徹底解説)
江戸時代の平均身長との違い
東京都江戸東京博物館の図書室が公開しているレファレンス情報では、江戸時代の男性の推定平均身長はおおむね155〜158cmとされています。
同資料は、男性の平均を157.11cmとする研究も紹介しています。
ここでも重要なのは、江戸時代の平均値と戦国時代の平均値は同じではないという点です。
時代、地域、生活環境、栄養状態、調査対象となる人骨の集団によって結果は変わります。
信長が170cmだった場合、どの程度目立ったのか
仮に信長が170cmだったとすれば、男性平均157cmという比較値より13cm高いことになります。
当時の一般的な体格を考慮すれば、周囲から比較的長身に見られた可能性はあります。
しかし、フロイスが記したのは「中くらいの背丈」です。この証言と170cm説を同時に考えるなら、どの集団を基準にした評価なのかが分からない以上、どちらか一方だけを根拠に結論を出すことはできません。
【2026年最新検証】信長の身長を判断するための3つの基準
2026年10月現在、信長の身長を考える際には、情報の種類を区別することが重要です。
歴史上の人物の身体的特徴は、現代の芸能人やスポーツ選手のように公式プロフィールの数字だけで確認できるものではありません。
基準1:本人の実測記録と後世の推定を区別する
最も重視すべきなのは、実際に身体を測定した記録があるかどうかです。
170cmという数字は後世の著作で紹介された推定値です。フロイスの人物評も定性的な観察記録であり、センチメートルによる実測ではありません。
この二つを同じ証拠として扱わないことが、正確な歴史理解につながります。
基準2:木像や肖像画は制作背景まで確認する
歴史上の人物の肖像は、本人の外見を知るための貴重な資料です。
ただし、肖像画や彫刻は、制作目的や時代の美意識、儀礼的な表現などの影響を受けます。
総見院の信長坐像も、制作年や作者、制作目的が確認できる重要文化財ですが、作品の高さをそのまま本人の身長と解釈することはできません。
基準3:複数の史料が一致しているか確認する
歴史人物の身長を推定する場合、人物評、肖像彫刻、人骨研究、後世の著作などを相互に照らし合わせることが重要です。
今回の信長の場合、フロイスの証言は中程度の背丈と細身の体格を示し、篠田氏の著作は170cmという数値を紹介しています。
それぞれの資料が示している内容は異なります。異なる種類の情報があるからといって、必ずしも同じ結論を裏付けるわけではありません。
2026年時点での整理では、信長の身長を170cmと断定するよりも、170cm説が存在すること、同時代の人物評では中程度の背丈とされたことを分けて理解するのが適切です。
【織田信長の身長】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:織田信長の身長は結局何cmだったのですか?
A1:正確な身長は確定していません。篠田達明著『日本史有名人の身体測定』では170cmと紹介されていますが、実測値として証明された数字ではありません。
Q2:織田信長の170cm説の出典は何ですか?
A2:2016年刊行の篠田達明著『日本史有名人の身体測定』が代表的な出典です。大阪府立図書館の2016年10月20日の書籍紹介記事にも、信長170cmという数字が掲載されています。
Q3:織田信長は165〜170cmだったのでしょうか?
A3:165〜170cmという推定幅は紹介されていますが、確定した身長ではありません。フロイスの「中くらいの背丈」という証言だけでは具体的な数値は分かりません。
Q4:ルイス・フロイスは信長の身長について何と書いていますか?
A4:『日本史』の人物描写では「中くらいの背丈」「華奢な体格」と紹介されています。身長を数値で測定した記録ではなく、実際に接した人物による外見の評価です。
Q5:大徳寺の織田信長の木像は何cmですか?
A5:大徳寺総見院の木造織田信長坐像は、高さ三尺八寸、約115cmです。ただし座った姿の彫刻であり、信長本人の立った状態の身長を示す数字ではありません。
Q6:織田信長と豊臣秀吉、徳川家康では誰が一番高かったのですか?
A6:篠田達明著『日本史有名人の身体測定』の推定値では、信長170cm、家康159cm、秀吉140cmの順です。ただし、三人の確定した実測値を比較したものではありません。
Q7:戦国時代の男性の平均身長は157cmだったのですか?
A7:157cmという数字は大阪府立図書館が紹介した篠田氏の著作に掲載されています。ただし、全国の戦国時代男性を対象にした統一的な平均値と断定できるものではありません。人骨研究では地域や時代によって推定値が異なります。
まとめ:織田信長の身長は170cm説があるものの確定していない
織田信長の身長について、2026年10月時点で確認できる代表的な資料を整理すると、170cm説には篠田達明著『日本史有名人の身体測定』という具体的な出典があります。
一方、大徳寺総見院の木造織田信長坐像は高さ約115cmの坐像であり、本人の立位の身長を直接示すものではありません。
さらに、信長と面会したルイス・フロイスは『日本史』で「中くらいの背丈」「華奢な体格」と描写しています。この証言は、信長の身体的特徴を考えるうえで重要な手がかりです。
今回の資料から整理できるポイントは次の3つです。
- 170cm説:篠田達明の著作に掲載された後世の推定値。
- 大徳寺の木像:約115cmの坐像であり、実際の立位身長とは別の寸法。
- フロイスの証言:中くらいの背丈で華奢な体格という人物描写。
信長が実際に165cmだったのか、170cmだったのか、それとも別の身長だったのか。現存する情報だけでは断定できません。
ただし、数値による後世の推定と、同時代に近い人物による観察記録を分けて考えることで、信長の実像に一歩近づくことができます。戦国時代の英雄を現代の身長ランキングだけで評価するのではなく、当時の身体観や史料の性質まで含めて理解することが、歴史をより深く楽しむ手がかりになります。
主な検証資料
- 大阪府立図書館「本蔵-知る司書ぞ知る(24号)」
- KADOKAWA『日本史有名人の身体測定』
- 文化庁「文化遺産データベース・木造織田信長坐像」
- 京都市観光Navi「総見院」
- 中央公論新社『回想の織田信長 フロイス「日本史」より』
- ダイヤモンド・オンライン、濱田浩一郎氏の記事(2026年1月17日)
- 日本人類学会『Anthropological Science』2008年掲載の中世人骨身長推定研究
- 東京都江戸東京博物館の身長に関するレファレンス資料 (あわせて読みたい:【結婚・出産・仕事の年表】徳島えりかの人生とキャリアの転換点)
(出典: 織田 信長 身長(Yahoo!ニュース))